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「LET'S DANCE BABY」(レッツ・ダンス・ベイビー)は、1979年1月25日に発売された山下達郎通算3作目(ソロとしては1作目)のシングル。 == 解説 == 「LET'S DANCE BABY」「BOMBER」両曲ともアルバム『GO AHEAD!』〔『GO AHEAD!』 1978年12月20日発売 RCA ⁄ RVC LP:RVL-8037〕からのリカットシングルで、アルバム収録曲と同内容。両曲がベスト・アルバム『GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA』〔『GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA』 1982年7月21日発売 AIR ⁄ RVC LP:RAL-8803〕とオールタイム・ベスト・アルバム『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜』〔『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜』 2012年9月26日発売 MOON ⁄ WARNER MUSIC JAPAN 4CD:WPCL-11201/4【初回限定盤】, 3CD:WPCL-11205/7【通常盤】〕に、「LET'S DANCE BABY」はライヴ・ヴァージョンがライヴ・アルバム『JOY』〔『JOY』 1989年11月1日発売 MOON ⁄ ALFA MOON 2CD:50MX-95/6〕にそれぞれ収録された。 「LET'S DANCE BABY」は元々、ザ・キング・トーンズ〔THE KING TONES & MARIE 『RESURRECT』 1978年発売 EXPRESS ⁄ TOSHIBA-EMI LP:ETP-80042〕のために書き下ろされた曲。ある日、アルバム用に曲を書いてほしいと東芝のディレクターからの電話を受け、行ってみるとすでに出来ていた3曲分の歌詞を渡された。吉岡治の詞2曲と、クリス・モズデルの英語詞が1曲。そのうちのひとつがこの曲だった。当時ソロ活動に行き詰ってきていて、曲作りのモチベーションが上がらず、自分用の曲が全然出来なかったため、この曲もアルバムのレコーディング・リストに加えたところ、この曲の経緯を知らないディレクター小杉理宇造が「これはいい。この曲をシングルにしよう」と、アルバム4作目にして初のシングル曲となったという。“心臓に指鉄砲”の箇所にシャレで入れたピストルのSEを、ある時2人の客がクラッカーで真似をして、それが全国に拡がっていったエピソードとともに、その後もライブでのレパートリーとして取り上げられている。 「BOMBER」は、上原裕と田中章弘の2人に、難波弘之と椎名和夫を加えたメンバーでの最初のレコーディング曲。山下によれば「当時、僕は完全にアイズレー・ブラザーズのフリークだったから、ああいうハード・ファンクをやってみようと思って作ったら、大阪のディスコで大ヒット〔発売前、試験的にAB面を逆にしたプロモ盤を大阪のディスコを中心に配布したところ評判となり、大阪では「BOMBER」のタイトルで臨時のジャケットが作られて販売された。〕。アメリカン・ポップスの男が一転して、16ビートの実践者になってしまった。しかし、本人にとってはこの曲で踊れるということが不思議でならなかった」という。 この頃は宣伝費もないに等しかったため、ジャケットにはニューヨークのホテルで小杉が撮影したスナップ写真が使われている〔。裏面には歌詞の他、『GO AHEAD!』〔のアルバム紹介と当時の“山下達郎ファン・クラブの御案内”が掲載されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「LET'S DANCE BABY」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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